
サルは偉大なのだ。
平成元年の兔平である
コブを背にポーズをとる梅原。
この写真、ブロッケン現象とは無縁・・・
3人は、宿に帰っても頭のなかに焼き付いてる凄い滑りの話ばかりしていた。
その夜、食事も終わり、いつものように3人でエコーランドをぶらぶらしていると、(オッ!)一軒のおもしろい店が目につき、入ることにした。
なにやらあやしげなポスターや写真・・・そしてテレビで流れている映像!!今日見た凄いスキーそのものだった。
(こ、これや!) 店の人にいろいろと聞いた。
「これはなんていうスキーなんですか?」 「今日、うさぎ平で見たすごい滑りの人、ジャンプして3回板をひねっていましたよ!」
など・・・ 3人は、店の人に興味深く聞いた。
落ち着いた雰囲気の、ちょっと年配の店の人がいうには、
「今日うさぎにいた人、あ〜その人ね、ん−、彼、去年のワールドカップは三十何位でしたよ」
「このビデオの人が勝つんですよ、ネルソンカーマイケルという選手ですけどね」
「高知からですか。ここに住所書いていただけたら、来年のウェアのカタログおくりますよ」
と、舞い上がる我々3人の質問に、親切に、静かな口調で答えてくれたのを、今でも覚えている。
一番舞い上がっていたのは、言うまでもなく私だったが、とにかくそのすごいスキーについての情報が一つでも知ることができて、とてもうれしかった。
(これからのスキーはこれや! まさに自分達の求めていたものの全てである)
求めていたものを実践する梅原。
重要文化財「いてまえ〜」の図である。
平成元年当時の高知県民で、こんなエアーをいれていたのは梅原だけであったかも知れない・・・
私は、オフシーズンになってもモーグルについての情報を探しに探した。
しかし、当時はモーグルのビデオも売って無ければ、本も無い。(単に手に入りにくかっただけかも知れないが・・・)
当然、モーグルスクールなんてものがある気はしなかった。
なにより、ここは南国、四国。当時"モーグル"という言葉すら存在しなかったのである。
時折、本屋さんで見かけるスキーの雑誌を見ては"モーグル"の情報を探したが、何一つそれらしいものがなかった。
だが、ある日意外なところで"それ"を発見!!それは"サーフィン雑誌"の広告であった。
(こっ!これや!) (クイックシルバー、って読むのか−)
それは、エコーランドの"ナパリ"のレジ後ろの壁に貼っていたポスターと"まさに"同じ写真だったのだ。
当時のワールドカップチャンピオン、たしか"ベルナルト・ブラント"という選手?がクイックシルバーのウエアでミュールキックを決めている写真だったと思う。
そして確か、ナパリにあったポスターには、本人によるオーナーの岡さん宛てのサインが書かれてあった記憶がある。
とにかく私は、この当時のクイックシルバーのウエアが大好きであった。
クィックシルバーのウェアは、今もシンプルでいい。
だが、このころの柄はデザイナーがフリーハンドで書いたプリントで、ウエアの柄の位置が同じのが2枚とないのが特徴だったと記憶している。
このころ、兎平で時々見かける"すごくうまいモーグルスキーヤー"が着ていたこともあり、私達3人はとにかくそれが欲しくて、欲しくてたまらなかった。
私は今でも、その柄のウエア(私達は"フリーハンドのグチャグチャな絵"と呼んでいた。たしか、新しく移転されたナパリのフィッティングルームのカーテンは昔と変わっていない絵柄・・・)が気に入っている。
この年の秋、期待したウエアのカタログがナパリより届き、3人はとうとう"モーグルウエア"である"クイックシルバー"を手に入れた。
そして、この年の12月に”四国初”のモーグラーが誕生したのである...???
四国初のモーグラーの図である。
紫のクィックがまぶしいゼ・・・
この頃から右を向いては「モーグル」、左を向いては「モーグル」の人生・・・
"クイックシルバー"のウェアをまとってのスキー場。とにかく、うれしくて、うれしくて、しかたがなかった。
しかし、私達には大問題があった・・・ それは、いくら天下のクイックシルバーを着たとはいえ、モーグルというのは気分だけ。
肝心の滑りは、とても”モーグル”と呼べる滑りではなかったのだ。
この年も、私達には"モーグル的"な滑り方がまったくわからず、いつも悩んでいた・・・
「板を振りゆぅ」 「いや!あまり振らずに、板を真っすぐにして滑ちょった。いや違う!」
「あのコブで板を真っすぐにしたら、とんでもないスピードが出るはず!
けんど、今日見た人、板をあまり振らずに滑りよった。間違いない」
「そしたら、どこで減速しゆうがで!それがわからん! けんど、あの溝に板を振って入らんとスピードが出過ぎる!」
「いや、あの横向いた溝にいちいち入れよったら絶対行けん!」
こんな調子でいつも3人は議論をかわしていた。
とにかく、今のようにモーグルのビデオや雑誌が無かったのだ。
そして、なによりもモーグルスキーヤー自体があまりいなかったので、私達が"モーグル"を目にすることも少なかったし、モーグルに関する技術的な情報が、本当に乏しかった。

悩めるモーグラー達・・・
苦悩が表情によく表れている・・・???
平成2〜3年頃・・・ この頃、私は愛媛県の久万スキーランドによく通っていた。
積雪のほとんどが人工雪の為、ゲレンデコンディションは、昼間はいつもベチャ雪、ナイターは硬いアイスバーン、がお決まりの状態である。
斜面は緩斜面が多く、南国だけにウェーデルンをする人が少ないせいか、モーグルに適した奇麗なコブがほとんど無い。
だが私にとって、そこはホームゲレンデ。よく通い、コブ斜面ばかり滑っていた。
あまりターンせず真っすぐ、そして大きなコブを見つけては飛ぶ、これが"モーグル"らしい滑りと勘違いしながらも、目立っている"視線"を意識しながら楽しんでいた。
「あれはただ真っすぐ行きゆうだけ。ターンやない。あんなんじゃ、一級通らんで−」
端で見ている基礎スキーヤーの厳しい一言が、仲間の滑って行った後に聞こえることもあった。
そんなことは、どうでもいい。私はただ、"モーグル"をしているつもりである自分に"喜び"と"誇り"があり、"楽しければそれでいい"。
そして、"繰り返していればいつかはうまくなる"と、そう自分では信じていた・・・
それは、このころ久
万スキーランドでよく見かける一人のスキーヤーに、私はすごく興味があったからだ。
見た目の年齢は四十才後半だが、ターンはすごくしなやかで、かつ力強く安定感があった。
彼はいつもコブ斜面ばかり滑っていた。
時よりエアーをする余裕すらあった・・・ そのウェーデルンは悪雪や不規則なコブをもろともせず、どんなときも一定のスタイルで滑れるターンの奥深さがあった。
基礎スキーでもなく、モーグルでもない、そのスタイルには不思議な魅力が感じられた。
あまりのうまさに私と井口氏は、その御方を「ミスター久万」と呼ぶようになっていた。
当然、ホームグラウンドである久万スキーランドに
ちなんだ名である。
話は変わって、‘89年のフリースタイル世界選手権を偶然テレビで見て以来、なにをかくそう私は、エドガーグロスピロンの熱狂的なファンになってしまった。
それはまだ十代の、やんちゃなエドガーが、デュアルレースで豪快なエアーとパワフルかつハイスピードなターンでベテランを次々と倒していき優勝するシーンで、これぞナノ・ポーチェ流フランスモーグルと言える激しい滑りが印象的だった。
そして、‘92年モーグルが正式種目となった、アルベールビルオリンピック。
第三位はヘリコプターを決めた全米チャンピオン、ネルソンカーマイケル、第二位はたての吸収が非常に大きいフランスのオリビエアラマン。そして、この時もやはり凄かったのは、“エドガー様“だった。
自国開催での金メダルへの期待されているプレッシャーをもろともせず、ほとんどノーミスな完璧な滑りで他を圧倒!金メダルに輝いたのだった。
ゴールライン直後に即急停止し、集まった大観衆にガッツポーズで圧勝をアピール!まさにモーグルの帝王と呼ぶのにふさわしいシーンに本当に私は感動した。

そんな影響の為か、その後ここ南国四国でも同じ志を持っていると思われるスキーヤーを時々見かけるようになった。
現在でもそうだと思うが、ゲレンデでモーグルスキーヤーっぽい人っていうのは、何故かすぐ分かる。
ハデなウェア、短いストック、どこでもかんでもショートターン、最近では、ゲレンデのどっかでよく見かけるぐらい急増したスタイルだ。
ある日、石鎚スキー場でそれっぽい奴を発見した。モーグラーらしい、クイックシルバーのウェアに身をつつみ、どこでもかんでもチョコチョコターン、ちっちゃなコブでもかまわずエアー、まさしく‘なんちゃってモーグラー‘?なのだ。
四国で、私達以外に‘それっぽい‘人を珍しく発見したのである。
興味があった私は、密かに近かづき、さりげなくリフトで並んだ。
布教活動?の得意な私は、なにげないふりをしてその人に話しかけたのである。
私:「スキーうまいっすねー、モーグルやっているのですか?」
その人:「ああ」 私:「大会とか出ているのですか?」
その人:「んーまあ・・・」 私:「どちらから、こられているのですか?」
その人:「香川・・・」 その他リフトに並んでいる間、私はいろいろその人に問いかけた。
私はいつも、モーグルスキーをしている人は、同じ穴のムジナ的な仲間意識がお互いにあり
すごくフレンドリーな人種だと思っていた。
少なくとも、その時の私はそう思って話しかけたに違いない。
しかしその人は、期待とまったく違った感じの方で、表情一つ変えず、小言でボソボソという感じで私の問いかけに答えていた。
その人には大変失礼だと思ったが、私はその時思ったのは、あまりフレンドリーではない
少しプライドの高い感じのする人、簡単に悪い言葉で言えば、「少しえらばってる」人とも思えた。
翌週偶然、またその人を久万スキーランドのナイターで発見したのである。
人を第一印象でイメージしてしまう私は、あまり気分は乗らなかったが何故かリフト乗り場で追いつき話をした。
私:「あの、この間石鎚スキー場で、会いましたよねー。」
その人:「あー。」 私:「何人で来られいるのですか。」
その人:「一人...」 ほんとに、口数の少ない悪く言えば無愛想な感じの奴である。
「よかったら、いっしょに滑りましょうか」の私の問いかけに、その人は一言「別にエエよ..」
あまり会話のないまま、何故か何時間も2人でコブを滑っていたのが不思議であった...
。
そして愛媛県にもそんなモーグルの虜になりつつある人がいた。
久万でその方に初めてお会いして「モーグルやっとるんですか?」というその人からの問いかけから知り合いとなり、よくいっしょに滑るようになった。
「わしは、新居浜でラーメン屋やっとる村上言うもんやけど、最近久万によう来る奴で、ごっつうターンの速い人おるやろー、わしその人と来週ここ久万で会う約束しとるんよー。
ほんで モーグルターンというものを教えてもらうつもりや。」
ラーメン屋のマスターはかなり力の入った口調でうれしそうに話していた。
そして、2人の約束の日に私も久万に行った。
マスターいわく「梅原さん、もうそろそろその人来る頃やと思うんやけど・・・
そうしているうちに、その人が滑って来た。
なんと!!その人とは‘無愛想‘な杉田君であった。
こうして、四国の中にうっすらとモーグルを志すもの同士のブレーンが出来始め、それをきっかけに久万に集まる、モーグルの好きな仲間が高知、愛媛を中心に徐々に増えていくのであった。
ちょうどこの頃、化学薬品工場で働くことに不満をもっていた私は、本業の三交代勤務のかたわら、密かにスキーショップのチューンナップなどのアルバイトをするようになっていた。
それは大変興味のある仕事だったので、どんどん自分がのめり込み、夢中になり、楽しくてしょうがないのである。
そしていつのまにか、いろんなショップでワンシーズンアルバイトに励み、シーズンが終わる頃、それがきっかけになり現在勤めているショップより就職の話があった為、おもいきって転職を決意した。
オーナーの計らいで、何故かいきなりスキー担当になったのまでは良かったのだが、化学工場の作業員からいきなり「いらっしゃいませ」である。
良く考えると、ただスキーが好きなだけの‘スキーバカ‘である自分が接客など、すぐに出来る訳が無い、当然しばらくの間は四苦八苦した。
そして仕事に必要ないろいろな勉強を余儀なくされた私は、スキーやブーツ展示会や、チューンナップショップでの見習、接客に関する講習など、スキーに関するいろいろな所に顔を出し全国を出張で飛び回ることになった。
スキーが好きでスポーツ店に就職したとはいえ、10年間工場内で化学薬品製造をしていた私にとって、接客のことや販売知識など知らないことが多すぎたので、オーナーのはからいで、講習会や説明会などの為によく出張に出かけた。
東京ですごく有名なチューンナップショップや大型店での見習いや、各地の専門店での視察など時間の許すかぎり、いろんな所を見てまわった。
ちょうどこのころ、スキー業界も最近の低迷時代とは違い、新商品の発表となると、華々しく盛大におこなうメーカーが多かったのだ。
商品説明だけではなく、その製品を使用している選手やゲストなどを呼び、そのメーカーの商品の実際に使用しての体験や長所などを講話していた。
ある日の講習会でのことである。
そこで偶然自分にとって、そして四国のモーグル文化にもっとも重要な方にめぐり合うことが出来たのである。
それは某スキーメーカーが主催する講習会でのことであった。
以前から偶然にして手に入った、数少ないモーグルについての本やビデオに出ている方にお会いすることが出来たのである。
講師は、「コブ道免許皆伝!」の著者である角皆優人さん。
元全日本フリースタイルスキーナショナルチームヘッドコーチの経験のある方である。
講話の内容は、今でもはっきりと覚えているが、このメーカーのスキーを使用するようになったきっかけのエピソードや、岩渕君がワールドカップで日本人で初めて表彰台に上がった感動の様子など、私の興味ある話ばかりだった。
というのも、角皆さんの本を隅々まで何度も読み返している私にとっては、講話の内容がその本に書かれていた内容を更に詳しく、そして臨場感豊かに伝えるものだったからである。
私はとにかく、おもしろくて感動した。 それは、いちスキーメーカーの小売店を相手とした講習会の内容とは少し違った感じで、
本来ならスキーの性能や良さを懸命につたえるべく場だと思うが、その時の内容は商品のことよりも、今までいろいろな経験してきたことや、スキー業界内の組織やそのありかたについて、何かを訴えるような内容のように思えた。
他には、このメーカーのスキーを使っている、ベルントクレーバーや金子デモの話などもあり、会場のほとんど一般の方々は、こちらの話の方に興味があったに違いない。
そしているうちに会も終わり、退席することになった。
この時である、何故か小心者の私が、なにを思ったのか「角皆さんと個人的に話をしたい」と思ったのである。
とにかくモーグルのことが知りたい。 技術的なことや、クラブやスクールのことなど聞きたいことは沢山ある。
そして、なによりも、角皆さんの本を読んで、共感できるものが私の中にあったからだ。
「あのー、はじめまして、僕四国でモーグルをやっています梅原というものです。」
「えとー、」と何から話していいのか、戸惑っている私に、「よろしければ、あちらでゆっくりお話を聞きましょうか」と角皆さんが気遣ってくれた。
とにかく著名人と話しする機会のない私は、この時かなり舞い上がった様子で話ししたに違いない。
この時をきっかけに、角皆さんにはいろいろと、
アドバイスや相談にのってもらうようになり、
私の中のモーグルに対しての道が、 この時飛躍的に切り開かれた。
徳島を除く、香川の杉田、愛媛の村上さん(マスター)を中心として、四国レベルでモーグル仲間が少しずつ久万に集まるようになり、土曜日のナイターなどにはいいコブが出来、結構おもしろいステージになることがあった。
白馬などで見る凄くモーグルのうまい集団。
そんな雰囲気にいつもあこがれていた私は、今に四国でもモーグルチームを結成し、飛んだり、跳ねたりすることを集団でやりたかったし、いつも心に抱いていた。
一人より大勢でコブを滑ると楽しいに決まっている。
目立ちたいと言う意味では、バイク乗りが暴走族を作りたがるのと、何ら変わりの無いことかもしれないが・・・
そんな思いでいたある日、店にお得意さんの一人である五藤さんがやって来た。
五藤さんは少々ご年配だが、モーグルがうまいのと若くきれいな嫁さんを連れているので、ちまたではおじさんモーグラーとしては有名なのだ。
「梅ちゃん!久万で、あれだけモーグルする奴がおるがやったら、そろそろモーグルチーム作れるがやないかえー」。
私もすかさず、「そう!そうながよ!そろそろメンツも揃うて来たき、いっかいみんなーにモーグルクラブ作ってみんかえーって、言うてまわってみろうかー」。
五藤さんの呼びかけに、「待ってました!」と言わんばかりに、相づちを打つように賛成した。
そして、H6年11月、四国というエリアでモーグルに興味あるものが、初めて一度に集まり
クラブ発足と、その主旨を皆に伝えた。
「クラブ名 Free Bumps TEN」
「クラブ特別顧問として角皆優人氏を迎える」
「四国に在住していること」 「純粋にモーグルスキーが好きで、仲間と楽しく情報交流し、競技思考も高め合う」
簡単な規約だが、要は「みんなで一緒にモーグルを楽しみましょう」というのが、主な主旨である。
集まった23人全員の一致により、ここに四国で最初のモーグルチーム「Free Bumps TEN」が誕生したのである。
クラブ発足にあたって、どんな活動をしていくかが話し合われた。
「チームウエア、もしくはワッペンなど何かチーム員らしいものを作る」
「合同練習、大会参戦、」 などなど、いろいろな意見が出たが、やはりまずはホームゲレンデと常設バーンがなによりも一番ほしいという意見が多かった。
とにかく「エアー練習が出来るところ」、「いつもコブがあるところ」これがあると、無いのでは、
今後の四国のモーグルレベルアップに、大きく左右するのだ。
この頃全国的にもモーグル専用コースなるものが、徐々に増え初めてきている頃で、その辺の事情と我々のクラブの活動としての思いを久万スキーランドにお願いすることにした。
簡単なクラブの目的や内容を明記したものを用意して、私と村上支部長を率いる数名でお願いにあがった。
予想通りであったが、簡単にお断りをされたのである。
それはそのはず、南国四国の営業期間も短い小さなスキー場で、しかも休日ともなれば2千人を超える来客者がある場所で、コースの一部を我々だけにという無理なお願いなのだ。
ましてや、スノーボーダーがエアー台を勝手に作ることに反対している矢先に、我々だけにという問題もある。
「あなた達にエアー台の作成許可だしたら、他のお客さんから言われても断れなくなる。」
「もしも怪我人が出たらどうするつもり」「他のスノーボードのお客さんが勝手に飛ぶのをどうやって防ぐ」「管理は誰が」などの、沢山の問題点を指摘され反対された。
やはり安全面やトラブルのことを考えると、スキー場側からすれば当然の見解である。
しかし我々TENとしては、エアーなどの練習の出来る場所が、どうしても必要なのだ。
ここまできたら、「我々はモーグルというスキーを競技として真剣にやりたいのだ」というのを分かってもらうしかないのだ。
ここで許可が出ると、出ないとではこれからの四国のモーグルスキーヤーのレベルアップに大きく左右するに違いない。
みんなで、皆で考えた結果、一枚の嘆願書たる我々の目的や、はっきりとした意思を伝えるものを
作成しもう一度、真剣にお願いにあがることにした。
「真剣に競技として活動している」
「必ず誰かが付いて管理する」
「我々の事故については一切自分たちで処理する」
「他のお客さんには紳士的に対応する」
「作成時パトロールに連絡する」
「当然終了時には撤去する」など、他のもいろいろな事項を明記し真剣にお願いした。
そうすると、願いが通じたのか「一度試しに作ってみて影響を見てみよう」とかなり前向きな返事を久万スキーランドの田村支配人よりいただいた。
さっそくコースサイドをネットで仕切り、エアー台を作り飛んで見せた。
約束を必ず守るという条件と、思ったよりも狭いゾーンで練習できることがわかり、意外とすぐにOKが出たのだ。
そして土曜日がくるたびに、メンバーが集まれば専用コースを作り練習することが出来た。
私個人としては、もちろん自分たちが真剣に練習出来る環境がほしいこともあったが、なによりも
モーグルという新しいスポーツを、四国の他のスキーヤーに知ってもらうことも意味があると思うのだ。
そして、それを見て興味あるものが、門をたたいて来ることにより仲間が増え、より面白くなって行く気がしていた。
もちろんやり方を間違えれば危険なスポーツでもあるが、しかしその反面、モーグルスキーの楽しさやスリルなど、体験した者でしか味わえない興奮があるからこそ、どんどんはまっていく。
そんなスキー自体の遊びやおもしろさを、皆に知ってもらいたいと思っていた。
話は戻りますが、この専用練習許可につきまして、 田村支配人ほか久万スキーランドさんに大変感謝したいと 思います。
平成8年、全国各地のスキー場でも、モーグル専用バーンの設置や草大会の開催も増え、そこで見かけるモーグルスキーヤーも、かなりレベルが高い人が多くなった。
自分自身も何度か草大会などに挑戦してみるが、意外と本番であがってしまい、いいかげんへたくそなスキーが、よりへたさを増してうまく滑れなかった。
何でもそうだが、「慣れ」は不思議と、気のあがりを感じさせなくなるものである。
そんな思いのもとに、モーグル初心者が簡単に出場しやすく、モーグル大会の登竜門的な大会をどうしても四国で開催したかった。
おそらく開催しても、参加者は数十名だろうと思ったのだが、とにかくこの南国四国で草モーグル大会開催は初めてだし、一般の人にもモーグルを知ってもらう意味はあるはずだ。
そしてなにより斜度も比較的緩く、距離も短い久万スキーランドは、、そういった四国のレベルには絶好の大会バーンであるのだ。
そんな思いの中、半信半疑で田村支配人に相談したところ、以外にもかなり前向きで話を聞いていただき、実現可能ということがわかった。
そうなると一気に気分が盛り上がり、早速準備にとりかかる。
四国の参加者がほとんど大会初参加ということから、今回は参加資格を四国在住者に限定し、レベル差を少なくして、とにかく誰でも出場しやすい大会になるよう、当初の目的通りに開催にすることにした。
運営にいったい何が必要で、スタッフは何人ぐらいいるのかなど基本的なことがまったく分からない私は、角皆さんに相談。
そして大会に必用な集計用のコンピューター、ジャッジ、DJ,音響設備、コース設定、スタッフなど、
草大会レベルを開催するにあたって必要な事項をアドバイスいただいた。
自分としても、とにかく少ないスタッフで小規模でも開催したい。
そんな思いがTENのみんなに通じたのか、次々とスタッフとして動いてくれる者が名乗りを上げ
問題が徐々に解決していった。
前日もチーム員に手伝ってもらいコース作りなど最後のいろんなセッティングに夜中までかかりほとんどの
TENのメンバーは睡眠不足で当日を迎えた。
参加者38名、これが四国発のモーグルスキーヤー達である。
会場の久万スキーランドの皿が峰コースは前日よりの寒波で気温はマイナス3度、斜面は硬く締まり、
アイスバーン状態となっていた。
130mの緩斜面にエアー台一つのやさしい設定ではあったが、以外にもある程度以上のスキー技術を要求され
、インスペクションでも完走するものすら少ないハードな状態になっていたのだ。
とにかく南国四国で行なわれる前代未聞のモーグル大会。
見たことも無い人もいれば、モーグルという言葉すら聞いたことの無い人がほとんどの土壌なのである。
まわりの一般ギャラリー達にはいったい今から何が始まるのかって思ったに違いない。
そんな異様な雰囲気の中、第一回四国モーグル大会は開会となった。
開会式はゲスト関係者によるデモ滑走がオープニングなのである。
まずは主催側の私からスタート。 少し上がりながらもなんとか無事完走。
意外と皆の見ている前でのデモ滑走は気持ちのいいものである。
そして、今回ジャッジ等でゲストとしてお招きしている角皆優人氏と近藤信インストラクターのデモ滑走である。
いきなりの近藤隊長のヘリコプターと滑らかなターンに会場から大きな歓声が上がった。
デモ滑走最後はミスターフリースタイラーこと角皆優人氏である。
「スリー、ツー、ワン、ゴー!」いったい角皆さんがどんな滑りをするのか、四国の選手やギャラリーは静まり
息をのんだ。
私は事前に角皆さんは、こういったイベントでのデモ滑走時にはよほどエアー台の状態が悪くない限り、
必ずバックフリップを見せてくれると近藤隊長から聞かされていたので何をするかは分かっていたが、
生をこの目で見るのは初めてだったので・・・
予想通りのすばらしいバックフリップをじかに初めて見る私達は、大声で歓声を上げるぐらいに感動した。
多分四国のスキー場でスキーを履いて縦に回ったのは角皆氏が始めてだろう。
その証拠に会場はしばらくどよめきに包まれていた。
開会式では角皆氏より、初めてのモーグル競技参加者に激励の言葉が送られた。
見よう見真似の慣れない私のDJに乗って、いよいよ女子予選のスタートである。
「アーユーレディー!」「スリー、ツー、ワン、ゴオー!」
女子は5名全員が大会未経験者で緊張しているものも多く、硬いアイスバーンに苦戦をしいられていたが全員予選完走。
引き続いて男子予選が始まり、このころには天気もますます悪くなり気温もかなり低く感じた。
男子もモーグル大会に始めて参加するものが多く、緊張を余儀なくされほとんどのものが苦戦をしていた。
そして無事予選が終了、午後からは決勝である。
気温もだんだんと低くなり、コブは少しずつ難しさを増していた。
女子は予想通りダントツで五藤奥さんが初代チャンピオン。
男子は予選トップ香川の杉田、そして高知の西森、その他にも控える優勝候補が予定どおりに決勝に進みすばらしい滑りを披露、それぞれ実力を出しきった滑りにギャラリーは惜しみない拍手を送った。
しかし、男子の部は優勝したのは予想されていた彼らではなかったのである。
この人の滑りだけには、私の中には奥深いものがあり、ひそかに応援をしていた人である。
二メートル近い長さの板で巨大なダーフィーを飛び、しなやかなターンとハイスピードでコースを駆け抜け、ゴールエリアでは恥ずかしそうな表情で笑っていた。
もはや巨匠と呼べる、‘ミスター久万‘こと窪田昭吾さん52才の優勝である。

私がモーグルらしきものを知った頃から、ここ久万スキーランドをホームグラウンドとして滑り、私達ファンを魅了したターンが勝ったのである。
聞いた話だが昔若い頃、美川スキー場のAコース(最大約32度)をギブスをしたまま片足で滑っていことや、八方のウサギ平のコブに惚れ込み、何ヶ月も白馬に居座った話など、フリースタイルスキーヤーとしてほんとうに楽しいスキーをしてきた結果がもたらしたことだろう。
エアーの練習もほとんどせず、大会初参加での出来事である。
多くを語らず、いつも楽しいスキーをしている窪田さんを見て、自分もこんな年の取り方をしたいと強く思うのである。